連盟主催の高所登山学校でネパールに行ってきました。
バビシェの信二さんを隊長に、4山岳会の計10名で未踏峰カンチェンピークを目指しました。
結果は・・・ルートの困難に加えて降雪に見舞われ敗退・・・残念。
駆け足ですが報告します。
12月20日、関空で乗り継ぎ、広州経由でカトマンズに向かいました。
関空で一息。
夜にはカトマンズの空港に到着。
21日、エージェントの事務所で団装の確認。
22日、ルクラに向かう飛行機にて。よく見れば飛行機の影が見えます。
ルクラに無事到着。下写真はルクラのスターバックスコーヒー。真ん中の山はアマダブラムだけど。
タルチョが青空にたなびく。
この日はトクトクまで行きました。
23日~24日、トクトクベースに高度順応を行いました。
下はヒルクライム途中の眺め。タムセルクが本当に素晴らしい。
25日、ナムチェバザールに向かう吊り橋。吊り橋を何度かわたって向かいます。
ナムチェバザールに到着。日本で売っているのと同じようなものが、日本と全く違う所でも同じように売られていた。
26日、ナムチェバザールからの絶景。左からチョモランマ、ローツェ、アマダブラム。近いうち、どれか一つくらいでも登れないかな?
途中で出会った千葉のSさんとAさんと一緒に記念写真。
27日、カンチュンピークと対面。右がカンチュンで左は標高確か世界15位のギャチュン・カン。
角で背中を掻いているヤク。ヒマラヤ名物?ヤクも増えてきました。
この日はマチェルモまで行きました。
28日、マチェルモをベースに高度順応。5000mまでヒルクライムを行いました。
29日、ゴーキョまで。標高も物価もだいぶ上がってきました。
珍しく雲が多い日でしたが、夕方には見事な夕焼けが見られました。
30日、ゴーキョピークへのヒルクライムを行いました。
チョラツェとタウツェをバックに。
ゴーキョピーク山頂にて。マカルーまで見渡すことができました。
この日はゴジュンバ氷河を渡り、タクナまで移動しました。
31日、レストになったので有志でBCまで偵察に行きました。
間近で見るカンチュンピーク。
シェルパの方がルート工作に使ったキャンプ。ただBCにはちょっと遠いような・・・。中央奥の山がチョロ。
15年1月1日、元旦にBCへ。
これまでずっ-と晴れていたのに・・・この暗雲・・・
すぐに粉雪が舞ってきました。
何年か前に流行った曲・・・粉雪はあまりに脆く、アスファルトのシミになっていくというのがあったけれど、今は瞬く間に積もっていきます。
前日のテントに着いたのち、チョロから延びる枝尾根上にBCを作りました。
この際少々トラブルがあったため、自分の全荷物(幸いギア以外)+テント+別の荷物をもって新雪ラッセル・・・5300mはさすがに辛い!
1月2日
朝起きると周囲はすっかり雪に埋まっていました。70㎝程度?アックスは完全に雪の中、ストックも先端だけが見える始末。しかもなおも降り続く粉雪。
登頂以前にBC撤退も困難になるという判断で、荷物を持てるだけ持って即時撤収。
20㎏弱の荷物、5300mで登りも含め膝上ラッセル・・・。
途中、諸事情でタクナに戻っていたシェルパの2人がご飯を持ってきてくれました。ふ~、やっと一息。
とりあえず無事戻ってきました。
1月3日、一部BCにデポした荷物をポーターさんに運んでもらうため停滞。
1月4日、ポルツェテンガまで。あたりは一面の銀世界・・・美しいけれどまたラッセル。
トレースもなくトレッキングというよりも完全に雪山登山でした。
途中、雪崩そうな斜面をトラバースする羽目になり、かなりの冷や汗でした。いろいろと考えさせられました。
1月5日、ナムチェバザールまで。トレースも出てきてずいぶん楽になりました。
下写真はタムセルクからの朝日。登れないと美しさが少々シャクだけれど、やっぱり素晴らしい。
ナムチェバザールには黄昏時に到着しました。
下写真は、夕暮れのチョモランマとローツェ。
1月6日、ルクラまで。
もう雪もなく快適なトレッキングとなりました。
コンデリ稜線につながる、なんとなく登れそうな落差数百メートルの凍った滝が見えたので、いつの日かここを登れないかな~などと空想していました。
下写真は最後に見たクスムカングル。
1月7日~12日
ルクラの翌日、幸運にも飛行機は飛んでカトマンズに戻りました。
カトマンズでは馴れない高級ホテルに泊まったり、一部屋500Rs.のホテルに泊まったり、観光したり、子供と遊んだり、雑居ビルに入ってみたり・・・といろいろあったのですが、割愛します。
そうしてトラブルもなく無事帰国しました。
下写真は千歳に向かう飛行機からの写真です。わかるでしょうか?北アルプスの、おそらくは槍ヶ岳と穂高連峰です。
ルクラへの飛行機から見たヒマラヤはまるで壁のようでした。しかしこちらはまるで地面の皺のよう。だけれど、その皺につよい親しみを感ぜずにはいられませんでした。
こんな3週間でした。